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「 蜃気楼の図 」 鍔 銘 太龍斎 光良(花押) |
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「 蜃気楼の図 」鍔 表面
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『 蜃気楼の図 』 銘 太龍斎 光良(花押)
赤銅磨地 堅丸形鍔 高彫色絵象嵌 両櫃孔
大月光良は光芳とも名乗る。山城屋を屋号とし 彫技は後藤流。
息子の光興は大龍斎を名乗る。
良邦→光良→光芳と名乗りを改める。
はじめ喜八と称し五左衛門と改める。文化十三年(1816)七十才 没。
Tsuba
Shakudo ground.A picture of a Mirage with a age clam.
Mitsuyoshi with kao.Die in 1816.(64*59mm)
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「 蜃気楼の図 」 鍔 裏面 (Tsuba)
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「 蜃気楼の図 」鍔 裏面
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「老いた蛤が大きな息を吹くと その気の中に城郭や山林 人の姿が現われるが
これを蜃気楼と称す。遠くより望めばいかにも形があるように見えるが
そばによって見るとただ雲霧のみである・・」とあるが
「蜃(大はまぐり)が 気を吐いて 楼閣を描く」が語源である。
現在でも沿岸の地域で遠く離れた対岸の景色が海上に陽炎の如く
写し出される事があるが古人にはさぞや驚きに値したと思われる。
参考までに秦の始皇帝は 徐福を日本に遣わし不老不死の妙薬を
探させたと言うが大陸の東の海の彼方に蜃気楼を見てその存在を確信したという。
楼閣は金の高彫り象嵌、波頭は銀の象嵌に毛彫りを加え、
蛤は金の平象嵌で貝の模様をあしらい赤銅の共象嵌にて地面より高く画題を読ませる。
裏の松は素銅で海岸からの景色を見せています。
小振りなため脇差に使用。(縦64mm横幅59mm)
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「 節分の豆撒きの図 」 鉄地 鍔 (刀装具) |
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「節分」
特に立春の前日の称。この日、鰯(いわし)の頭を
柊(ひいらぎ)の小枝に刺して戸口にさし、
炒り豆をまいて悪疫退散、招福の行事を行う風習がある。
冬から春への境として物忌みに籠ったのが本来の行事。
銘 在川斎真 製 ?
鉄地に、金銀胴、四分一、赤銅の象嵌
片櫃
小振りなため脇差に使用。(縦68mm横幅62mm)
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「節分の豆撒きの図」 四分一地 縁頭(刀装具) |
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悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う行事。
平安時代、宮中において大晦日(おおみそか)に盛大に行われ、
その後、諸国の社寺でも行われるようになった。
古く中国に始まり、日本へは文武天皇の頃に伝わったという。
節分に除災招福のため豆を撒(ま)く行事は、追儺の変形したもの。鬼やらい。
( 頭 ) マスを持ち、力強く 豆を 蒔かんとする人物
( 縁の差し表 ) 逃げる鬼、( 裏 ) 御簾に 投げた豆(金点象嵌)
四分一磨き地
縁( 縦38mm 横幅19mm 高さ9mm+ 左手 )、頭( 縦34mm横幅15mm )
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「貝尽くし」 鉄地刀装具
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すべて鉄地で、図柄を、貝で、合わせたものです。
[鍔] 鍔全体の形が 鮑(あわび)の貝(かい)の形に、表と裏に様々な貝を
金、銀、素銅にて象眼した物です。小型の鍔
[縁] 金、銀、赤銅で 貝の図を 象眼し毛彫りを加えた物。
[目貫] 船を漕ぐ櫂(オールのかい)に金、銀にて貝を象嵌した物です。
大ぶりなためこれは大刀の柄に巻かれていたと思われます
[小柄] 五種類の貝を、象嵌しています。 |
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