銘拡大
「 石橋図 」 銘 後藤法橋一乗(花押) 小柄
私の気に入った鍔の部屋 その 7
「 石橋 」( しゃくきょう )
  銘 後藤法橋一乗(花押) 小柄
金銀素銅象嵌 赤銅魚々子地 裏板金哺
雲海に掛かる 石橋を渡り、月に吠えている獅子の図

 微細な後藤家流の魚々子(ななこ)で、赤銅の闇を。
たなびく雲を 銀、石橋は 銅、月と獅子は 金の象嵌。
幕末の頃、後藤家の末尾を飾る、一乗の渾身の作。
 画題は古くからありますが、この「 石橋 」を、彼の優れた画取りで、切り取り描いたものです。
一匹の獅子が、苔むした、石橋を、駆け渡る。
雲海の下には、千仭の断崖が隠れ、人間が近づける所ではない場所であることを、物語っています。
赤銅の微細な魚々子地を背景に、月に照らされて、其の姿が鮮やかに、映し出されています。

寛政三年(1791)~明治九年(1876) 86才没
 (縦97.1mm、横幅14.7mm、厚さ4.6mm)

 高く聳え立つ断崖に細い橋がかかり、下は波立つ奔湍(ほんたん)、そこに狂い遊ぶ
獅子の図を「石橋」と呼んでいる。獅子の動きがまことに勇壮、活発、大胆である。
 石橋は中国の天台山にあるといわれる石の橋で、両岸は千仭の断崖、橋の下は
数千丈の深潭、橋の幅は尺に満たず、長さ数歩、表面は苔が滑らかに生えて、渡ること
困難である。橋を渡り得れば向こうは文殊の浄土であるという。
 ここに謡曲の「石橋」が生まれた。大江定其、寂昭法師となって入唐し、
この橋に辿り着くが、法力によらなければ渡れぬ問答がある。

 然るに此石橋と申すは 人間の渡せる橋にあらず おのれと出現して 
つづける石の橋なれば 石橋と名を名付けたり、其面わづかに 尺よりは狭うして 
苔甚だ滑かなり 其長三丈余 谷のそくばく深き事 千丈余に及べり 上には滝の糸 
雲より懸けて 下は泥梨( ないり )も白波の 音は嵐にひびき合ひて 山河振動し 
雨塊を動かせり 橋のけしきを見渡せば 雲にそびゆる粧ひの たとえば夕陽の雨の後に
虹をなせる姿 又弓を引ける形なり 遥かに臨んで谷を見れば 足冷すくし肝消え 
すすんで渡る人もなし 神変仏力にあらずは 誰か此橋を渡るべき
 向ひは文殊の浄土にて 常に笙笛琴徯夕日の雲に聞こえ来 目前の奇特あらたなり… 

「鍔・小道具画題事典」著 沼田鎌次 (雄山閣出版)より 参照しました。

Kozuka
A picture of a shishi.(The other side of the thin bridge made with the stone is paradise and a lion.)Shakudo ground.Signed Goto-hokyo Ichijo with kao.
Late edo period.Born in 1791,Die in 1876.
( 97.1*14.7*4.6mm )
 トップページへ戻る次の鍔へ